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■ドックとの関わり28年 |
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執筆者:青木 幸範(当院院長) |
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千曲病院ドック棟増築(昭和61年3月) |
佐久病院の八千穂村での全村健康管理が昭和34年に始まって51年になる。同年に新国民健康保険法が実施され、国民皆保険の元年だった。井出村長の英断と佐久病院の全面協力があって、今日の佐久穂町の健診に連綿と脈打つ。
同じ時期に全国の各地で、同様の健診が芽生えていたこと等、唯我独尊ではなく、次には検証も心掛ける必要がある。
医療費の低さや長寿を売り物の健診に黄色信号が点滅を始めている。
[1]
佐久町の町民ドックが産声を上げたのは、昭和57年7月、千曲病院の2階病棟の2部屋を間借りして、1年目がスタートした。35-69歳の働き盛りで、健診と縁遠い約4,000名を対象に個人負担は1万円で、隔年の受診とした。初年度900名の受診あり、9名の胃癌の発見あり(7名が早期の胃癌)、胃カメラ検診の有用性が認知され始める。
2年間で1,400名の受診あり、ドックの必要性が病院経営審議会でも認められ、昭和61年3月にはドック棟(西診療棟)が増築された。
ドック開始の頃は2名の医師の退職が病院の前途に不安を感じさせ始めていた。千曲病院で出来る事を皆で模索した結論がドックを生みだした様な時代背景があった。
[2]
昭和62年11月に八千穂に開業する、これも自分の運命だったんでしょう。
61年頃から八千穂村ではゴルフ場などの観光開発の話しが持ち上がり(詳細は佐久病院の「農民とともにNo.120」に)一部の議員さんを中心に反対運動あり、佐々木村長も賛成し、人間ドックを実施することになった。
佐久病院は当初は健康スクリーニングと反対していたが、ドックの時代という流れを認める結果となった。
35-69歳を対象に2年に1回で、原則は健診と交互に受診して頂くことになり、村内の地区懇談会を佐久病院と共に村の住民課が中心となって実現できた。
佐久町の半分の人口で初年度(昭和63年度)には約1,000名の受診があった。ヘルス30年の重みを知らされた思いでした。
両町村のドックのスタートに巡り会えたのも奇遇(幸運)でした。
[3]
マスコミは特に現代では恐ろしい程に世論を創り上げてしまう。白も黒もマスコミが決めるのかな?
だからといって国民がそれに流されていたんでは、大変な時代になりそう!
平成17年に合併して、佐久穂町となった。新しい考えも出てくるのでは、と楽しみであるのと、健診50年ではあるが、黄信号が点滅している事実もある。
早期に関係者の知恵を出し合い、議論を深める必要に迫られている。
人生のハード(基本)は体と仕事。ソフト(応用)の両輪は友人・趣味と知識・知恵と思う。医療の関わりはハードの一部分、もっと広い関わり、人の伴走者になれれば素晴らしい!
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